サービスバルコニー

サービスバルコニー、それはたしかにバルコニーの大切な効用の一つではりますが、空にむかって住空間を開いてゆくという効用をデザイン面をも含めて活かしてゆく必要がある。


たとえばデザイン住宅が鉄筋コンクリートであれば、バルコニーを壁面からかなり大きく張り出すことも可能であるし、また反対に建物の内部に含み込むようにバルコニーを設けるーベイバルコニーと呼ばれるーこともできます。


相当広びうとしたスペースが得られ、居間の一部として活用され、意匠的には外観にほりの深さを与えることができます。


こうした大きなバルコニーをポイントとしたダイナミックなデザインによって個性的な意匠をつくることができます。


もちろん小さなバルコニーを壁面のアクセサリーとしてつけるという軽い扱いもしゃれています。


バルコニーは空中にはり出された空間としてロマンチックな空想をかきたてる装置なのです。


バルコニーの歴史

話が横にそれたが、高級住宅のバルコニーは、18世紀にはかなり普及したと考えられる。


壁からごくわずかしか張り出していないものではあったが、開口は床までいっぱいとられ、バルコニーの手すりには唐草模様の鉄格子がはめられ、外観意匠のまたとないアクセントとなっています。


またこのバルコニーは恋のかよい路ともなったし、いまも草花の飾り台となって住宅にいうどりをそえています。


わが国におけるバルコニーは公営アパート、公団アパートによってはじめられ、ふとんや洗濯物が一杯吊るされたバルコニーがつくり出され、バルコニーとはああいうものよといったイメージを人びとに植えつけてしまった。

バルコニーと言えば・・・

バルコニーと言えば、ヨーロッパの劇場の二階、三階などに張りめぐらされた観客席を思い出す人もいるだろうが、そのバルコニーの源流は、中庭を囲んだロの字型の宿屋(二~三階建)であった。


二階、三階の客室は中庭に面する回廊から出入りし、その回廊へは中庭から階段がついていた。


宿屋の中庭にはしょっ中、旅芸人がやって来て寸劇を演じ、泊り客は回廊からそれを見たという。


そしてそれが劇場のバルコニーになったというわけです。


そういえば、新しく建てるデザイナーズ住宅のバルコニーはどんな感じにしようかなあ。

バルコニーの役割


地に這うような在来デザイン住宅から、空に向けて開いてゆくという住宅像の転換を含んだ三階住宅にとって、バルコニーの役割はきわめて大きい。


バルコニーを介して住空間は輝く空間とつながってゆく。


そのようなバルコニーはまた、外部意匠の最も強いアクセントとなります。


バルコニーがいつ頃から住宅に設けられるようになったかは明らかではない。


古代ローマ時代の貴族の別邸ヴィラー村を言い表わすヴィリッジはここから出たというーにはテラスのあったことは遺跡の発掘やウィトルウィウスの建築書によっても確認されるが、バルコニーについては不明確です。

都市に住む者

今日都市に住む者にとって、この砂漠の話は決して遠いよその国の話ではない。


われわれもいまやコンクリートとアスファルト砂漠の民となりつつあるからです。


「庭つきの高級住宅がほしい」。


住宅アンケートの第一位を占め続けたこの要求を満たすために、人びとは郊外住宅へと殺到した。


しかし、都市の中で住むには本当に庭はあきらめなければならないものでしょうか。


バビロンの民に学んで、住宅の屋上に庭を持ち上げるということは考えられないでしょうか。


自然と共存できる建物は考えられないでしょうか。


屋上庭園のはじまり

屋上庭園と呼べるものが、この世にあらわれたのはメソポタミア地方におけるバビロニアのものが初めてといわれています。


ユーフラテス川に面した、バビロンの都の王宮に"空中庭園"と称される屋上庭園らしきものがあった。


バベルの塔として知られるバビロンのジグラッドの北に隣接して存在したこの屋上庭園は果たしてどういう経過でつくられたのでしょうか。


定かな説は知られていない。


砂漠の多い風土ゆえの緑への強い回帰性が、庭園を地上から切り離し、緑を空中に持ち上げたのでしょうか。


デザイナーズ住宅にもこんな庭がほしいものです。

直接つながる空間

デザイン住宅の一階はまた外部空間と直接つながる空間です。


外部空間と積極的につなぎたい空間、たとえば店舗などが設けられやすいことになるし、玄関を付けたりするのに一番好都合なフロアーとなります。


逆の見方をすると一階は周囲の都市環境の影響がストレートに伝わり、デスターブされやすいフロアーでもあります。


塀をまわすことでそのデスターブを断ち切る必要も生まれる。


また忘れてはならない最大のメリットとして、災害時における避難の容易さをあげねばならない。


窓を開けれぼすぐに避難できます。


このことはまた逆に見ると、侵入されやすいことであり、盗難防止の配慮が必要になります。

三つのフロアー

上の階では得ることのできないものとして何より接地性があります。


接地性というのは、地面に接しているということであるが、一階は敷地内のオープンスペースである庭と連続した唯一のフロアーであることは言うまでもない。


二階以上のフロアーでもルーフガーデン(屋上庭園)やバルコニー、テラスを利用して土に親しむことはできます。


しかし、苔むしたひんやりとした感触は本物の土の庭ならではのことです。


高木を育てうるのも高級住宅の庭です。


このような土の匂いのする地面空間と共存し、連続的な一体性を確保しうるのは、一階に与えられた特権といえる。


この特権をいかにうまく活かしてゆくかが、三階の中の一階を考えるポイントとなります。

縦長の空間

特性として「縦長の空間」ということをあげておこうと思います。


さきにも触れたが、地に這う家では、空間は基本的に横長でした。


水平に目を走らせることがあっても、垂直には目を走らせることはなかった。


三階デザイナーズ住宅は、空間のかたちを変える。


縦長の空間が否応なしに出現してくることになります。


とくに階段まわりなど、そしてファサード(外観の正面姿)において。


ややオーバーになるが、かつて日本人が体験しなかった空間が日常生活の中に現出することになるのです。

初めまして。

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今日から住宅関連のブログ始めました。


どうぞ宜しくお願いします♪


さて、昔は、二階デザイン住宅もなかったんだそうです。


しかし、今日の日本では二階家が全く当たり前のことであり、珍しくも何もなくなったが、明治時代、大正の初め頃までは、二階家というのは珍しいことでした。


二階家と言えぼ、宿屋、料亭、廓、商店、特別なものとして養蚕農家などに限られていた。


敷地の高度利用が要請されていた町家にあっても、ちゃんとした天井高の二階を設けることは少なく、多くは立てば頭のぶつかるような屋根裏部屋で、そこに上がる階段は押入の中のかくし階段でした。


屋根裏部屋は下男、下女などの寝部屋になったが、夏はオーブンのようになった。


町家がこのような半人前の二階しか設けなかった最も大きな理由は、徳川時代の身分規制↓衣・食・住についてのこと細かな厳しい規制でした。


「不似合の家作、今より後、仕間敷事(しまじきこと)」という禁止令にはじまって、軒の高さ、室内造作など事細かに規制されていた。


二階家はこうして実質的に禁止された。


それに加えて防火上、二階では消防活動がしにぐぐな、るというようなことによる町内の圧力、分相応という生活態度をよしとする二階建への自己規制もあった。